本日 55 人 - 昨日 8 人 - 累計 74368 人

1.沿革

  1. HOME >
  2. 労働組合とは >
  3. 1.沿革

第二次世界大戦前、わが国でも1920年(大正9)から31年(昭和6)までの間に、内務省、農商務省を中心に20近くに上る労働組合法案が立案されたが、資本家の強い反対によりいずれも日の目をみるには至らなかった。敗戦後、GHQ(連合国最高司令部)は治安維持法など労働組合活動を弾圧していた諸法令を撤廃し、人権確保の五大改革の一つとして労働組合の結成促進を指示した。こうした状況のもとで、政府は労働組合法案の作成につき労務法制審議会を設置し諮問した。答申に基づいて1945年(昭和20)12月に制定された旧労働組合法は、戦前の内務省社会局の原案の影響がみられるが、
「職業ノ種類ヲ問ハズ賃金、給料其(そ)ノ他之(これ)ニ準ズル収入ニ依(よ)リ生活スル者」すべてを労組法上の労働者
としてとらえ、工・職・官公吏に等しく団結権、争議権を保障した点で社会局原案とは決定的に異なり、画期的なものであった。ただ、警察官、消防職員、監獄職員については例外的に団結禁止規定が置かれていた。旧労組法は、争議行為に対する刑事・民事免責を規定したほか、使用者による労働者の組合結成・加入や組合活動に対する不利益取扱いおよび黄犬(おうけん)契約を刑罰をもって禁止し、労働協約の規範的効力や一般的拘束力の制度を設けた。その後、1948年7月の政令二〇一号の制定、同年12月の国家公務員法改正、公共企業体労働関係法の制定により、官公労働者の争議権が剥奪(はくだつ)され、これに伴い官公労働者に対する労働組合法の適用も排除もしくは縮小されるに至った。


ついで1949年6月、旧労働組合法は全面的に改正され、現行法が成立した。そのおもな改正点は次のとおりである。
(1)労働組合の「自主性」を強調することで、使用者の利益代表の範囲を拡大して資本の側に管理職グループを取り込み、会社の業務から組合を排除した。同様の理由で組合専従者の給与の会社負担を「経費援助」にあたるとして禁止した。
(2)「民主性」確立を理由に組合規約の必要記載事項を詳細に規定し、組合の内部運営への法規制を強めるとともに、それに反する規約をもつ組合を「法外組合」として労組法・労働関係調整法上の一定の保護の付与を否定した。
(3)使用者による組合活動を理由とする差別待遇に対する科罰主義を改め、原状回復主義を内容とする不当労働行為制度を導入した。
(4)期限到来後の労働協約を一方当事者の意思表示によって解約できる道を開き、使用者はこれに基づき自動延長中の協約を解約し、一方的に人員整理を行うことができるようになった。
労働組合は既得権の侵害、組合弾圧法として反対したが、現行労働組合法は成立した。その後、部分的に改正されたが、定着し、現在に至っている。





「労働組合とは」へ